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NPO日本チェルノブイリ連帯基金とは。

通販生活から神谷さだ子さんを知り
NPO日本チェルノブイリ連帯基金を知ったのですが、

どんなNPOなのだろう?

チェルノブイリ原発事故汚染地への医療支援と文化交流を目的に
1991年1月設立。

写真:鎌田實理事長

鎌田實理事長


これまでに85回の訪問団を派遣、医療専門家による
医療知識・技術の伝達と医薬品や医療機器の供与を続け、
こうした支援総額は6億円を超える。
 事故後、ベラルーシ国内では小児甲状腺がんが72倍に増えた。
日本の医師団は、これまでに2200人の児童健診を実施し、
リスクの高い21人を日本に招いて精密検査を行った。
 一方、原発事故と白血病の因果関係を科学的に証明するのは難しいが、
事故後の調査で、2歳以下の乳幼児の白血病が異常に多くなったことがわかっている。

被害の子供支え15年

 第13回読売国際協力賞は、日本チェルノブイリ連帯基金(鎌田實理事長)に
贈られることが決まった。未曽有の放射能汚染が残った旧ソ連(現ウクライナ)の
チェルノブイリ原発事故から今年で20年が過ぎた。
「後遺症に苦しむおおぜいの子供たちがいる」。遠い国からの一報に、国境を越え、
体制の違いを超えて駆けつけ、15年にわたって支援を続ける日本の医師たち、
そしてその活動を支える数多くのボランティアや医薬品、医療機器メーカー。
「子供たちを助けて」との悲痛な声に応じた熱い人の輪の広がりが、
現地の子供たち、その親、そして医師たちへ感動を広げていった。

 「1人を助けても問題の解決にならないんです。
病棟の子供たちみんなが、
日本に行って治療を受けたいと思っているんです」。
ベラルーシ・ゴメリ州立病院の女性医師の思い詰めたようなまなざしに、
はるばる日本からやって来た鎌田は「ハッと目が覚めた思いがした」
と、その時のことを振り返る。

 「チェルノブイリ事故の放射能汚染で子供たちに健康被害が広がっている」。
そんな話が、長野県茅野市の病院で院長になったばかりの
鎌田の元に持ち込まれたのは、1990年暮れだった。
事故からすでに5年近くが過ぎ、日本ではその惨状もすっかり忘れ去られていた。

 半信半疑で出かけたベラルーシ(当時のソ連)だったが、
ゴメリの小児病棟で鎌田は息をのんだ。

 「この子は白血病です。この子も白血病です。この子も……」。
小児血液部長の女医タチアナ・シュミヒナの案内で回った病棟は
重苦しい空気に包まれていた。
日本ではすでに治癒率が6割以上になっていた白血病なのに、
死亡率を聞くと9割にも上っていた。

 「ここの子供たちはみんな死んでゆくんです。
昨日もとなりの部屋の子供が死にました。次はうちの子の番です。
日本に連れて行って助けて」。
涙ながらに鎌田にすがりついたのは、
8歳のウラジミール・シマノビッチの母親のエレーナだった。

 母親の涙に負けた鎌田が、シュミヒナにもちかけた。
「どうしてもというなら、日本に連れて行きます」。
この時、鎌田の脳裏にあったのは、ソ連から来日してヤケドの治療を
受けた少年のことだった。だが、意外にも、冒頭の拒絶の言葉が返ってきた。

 「日本に行けば治るというなら、私に新しい医療を教えてください。
私を信用して薬を送ってください」。
地元医師の真剣な表情からは、「子供たちを助けたい」という
強い気持ちが伝わってきた。

 国は違うが、同じ医師として鎌田にはすぐ分かった。
治療すれば完治する病気は、日本に連れて行けばいい。
しかし、継続的な治療が必要になる白血病は、
地元の医療レベルの底上げをしないとどうにもならない。

 とはいっても、このちっぽけな自分たちのグループに可能なのか。
自問自答しながら帰国した鎌田は、
信州大学医学部の小宮山淳教授(現・学長)の協力をあおぎ、
長野県松本市に「連帯基金」を設立した。

医薬品、機器…白血病治療を一から指導

 第1回の医師団が2か月後に派遣された。
白血病が専門の小池健一(現・同大小児科教授)が指名された。

 小池も、ゴメリ州立病院の小児病棟で立ちつくした。
末期の白血病の子供がうつろな表情でベッドに横たわっている。
末期だというのに、点滴のチューブもない。
感染症の防御もしていない。
かたわらに座る母親は絶望したように、ぼうぜんと、
高熱に苦しむわが子の額にぬれタオルを置いていた。

 「日本だったら、抗がん剤や抗生物質など、
最後まで出来るだけの治療をしようと、患者の体は点滴だらけになるんですが、
ここでは何もしていない。薬が足りない。助からない子供には薬もないんです」

 自分たちがやらなくてはいけないことがある。
何とかしよう。そう思った小池は、腹をくくった。
白血病の治療技術を一から移転する。大変なことだということは、
専門家の小池が一番よく知っていた。
始めたら途中で投げ出すわけにはいかない。
10年は続けなければならないだろう。

 本当に病院には何もなかった。20~30年前のものと思った
旧式の心電計は、聞いてみると数年前に買ったのだという。
国全体がマヒ状態に陥っていた崩壊寸前の
当時のソ連では、医学の進歩も止まっていたのだ。

 顕微鏡もそうだった。
白血病の診断は、白血球の数や形を顕微鏡で観察することから始まる。
ところが、日本の最新の顕微鏡しか使ったことがなかった小池には、
部屋の明かりを反射させて見るだけのソ連の顕微鏡では暗くてよく見えず、
診断ができなかった。心電計や顕微鏡、
それに、がん検診に欠かせないエコー診断計などの医療機器や
大量の薬品類を現地に送ることから始まった。

 公的な補助や大手ビールメーカーからの白血球を増やす高価な医薬品の支援、
医療機器とその保守点検の提供もあった。

 また、学校に通えない小児病棟の子供たちに勉強を教える院内学級も開設した。

 何度も来日して言葉通りに医療技術を磨いたシュミヒナは
、自らもがんに倒れ2003年暮れに亡くなった。
しかし、白血病の治癒率は大幅に改善、
移植治療まで現地の医師だけで出来るようになった。

 2000年、ベラルーシを訪れて健診をしていた鎌田は、
思いがけない訪問を受けた。
最初の視察時に「日本に連れて行って」と訴えたウラジミールと
エレーナの母子だった。少年は、17歳になっていた。

 自宅に招待された鎌田に、
母親の心づくしのロシア料理がふるまわれた。
「長い道のりだったが、続けてきてよかった」。
鎌田の胸に様々な光景がよみがえり、しみじみとした気持ちがわいてきた。

最大被災地・ゴメリ州 患者死亡率90%→25%


 ベラルーシ南東部ゴメリ州の国立放射線医学人間環境センター。
連帯基金の現在の支援先の一つになっているチェルノブイリ原発事故の
被害者治療機関で、その小児血液病棟では、白血病などの血液疾患を抱える
1歳から18歳までの約30人が闘病生活を送っている。 

写真:談笑する患者の子どもたち


小児血液病棟の遊戯室は子供たちの笑い声に包まれていた。
日本語で書かれた色紙を前に、読めるかどうかを確かめ合っている。
「私が知っているのは『愛』と『幸せ』と『健康』。
日本の人たちが教えてくれたの」とワレンチナさん(12)。
年に2~3回訪れる日本チェルノブイリ連帯基金メンバーとの交流を、
子供たちは楽しみにしている。

 「無菌室に血液冷凍庫、検査装置。
ここの医療機器は彼らからもらったものばかりです」。
ロマシェフスカヤ病棟長が感謝してやまないのは、
同基金が支援を始めた1991年、
小児血液病棟の治療環境が最悪の状態だったからだ。

 原発事故で州の70%が放射能に汚染されたゴメリ州は、
国内最大の被災地だ。だが、ソ連崩壊に伴う経済混乱で、
当時州立病院にあった小児血液病棟は医療機器や医薬品がそろえられない。
患者死亡率は実に90%にも達していた。

 日本からの器材の提供に加え、ベラルーシの医師たちが
日本で研修を受けるなどして有効な治療法を学んだ。
同基金の医師の指導で、
先進国では一般的な白血病治療「末梢(まっしょう)血幹細胞移植」も習得した。
現在の死亡率は約25%。州立病院で移植を行ったイスクロフ医師は
「連帯基金なしに、ベラルーシの血液病治療レベルの向上は語れない」と言い切る。

 小児血液病棟が2004年、
設備の整った同センターに移転してもなお、
医師たちは衛星テレビ回線を通じて日本に指導を仰ぐ。
病棟の女医が重病になった時には、基金側が医薬品を急送してくれた。
「私たちも日本も同じ被ばく国。信頼関係は変わらない」と
ロマシェフスカヤ病棟長は力を込める。

 一方、首都ミンスクの国立小児血液がんセンター。
子供の「細胞移植」は現在ここで行われているが、
責任者のストロンギン骨髄移植部長は、2年ほど前の緊急事態が忘れられない。
17歳の少年が移植後に突然、腎臓の機能障害を併発して重体に陥ったのだ。

 同センターも連帯基金から治療支援を受けている。
ストロンギン部長が衛星テレビで症状を伝えたところ、
過去11件の同症状の患者のうち、助かったのは3人という極めて
特殊な事例だと告げられた。

 治療法を教わり薬剤を調達した結果、少年は無事に回復し、
今は大学生活を送っているという。
「アドバイスがなければ彼は確実に死んでいた」とストロンギン部長は振り返った。

 それだけに、連帯基金の今回の受賞を現地の医師たちはみな大喜びしている。
ロマシェフスカヤ病棟長は「家族が受賞したような幸せな気分」と胸に手を当てた。

 小児血液がんセンターの無菌室では
、いまも頭髪が抜け落ちた少女が、うつろな表情で天井を見つめていた。

 「1人でも多くの命を救いたい」。現地の医師たちは、
今後も日本からの支援継続を訴えている。

(注)「チェルノブイリ原発事故」
 1986年4月26日未明、旧ソ連・ウクライナ共和国にあった4基の
黒鉛減速軽水沸騰冷却型炉のうち100万キロ・ワット級の4号機が、
安全確認試験中に暴走事故を起こした。
広島型原爆500発分の放射能が飛散し
、20万平方キロ・メートルの地域を汚染した。
 ベラルーシ・ゴメリ州事故対策局によると、
州の60%以上が今でも放射能に汚染され、
原発から半径30キロ圏内の立ち入り制限が続く。
同国の事故被害者は約200万人に上る。
経済損失は2300億ドル(約27兆円)。国家予算32年分に相当する。



第13回(2006年度)読売国際協力賞

(2006年10月21日 読売新聞より)

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情報提供 | 【2012-06-17(Sun) 05:23:31】 | Trackback:(0) | Comments(-) | [編集]
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